座敷童子、を招待してみよう。
見えざるのモノの生き残り、の一つとして。
彼らもいつまでも着物におかっぱ、という風体ではあるまい。
ひょっとしたら童子、ですらないのかもしれない。
座敷オジサン。ポロシャツの。
オジサンはぼんやり座敷に座っているだけで、その家に幸福をもたらす。
ありがたいけど今の住宅事情じゃ、離れ座敷を一部屋、なんて望めない。
いいとこリビングのソファー、もしくは和室の片隅、一畳分を献上しよう。
ワンルームマンションでマンツーマン、なんてケースもありうる。
「お茶を一杯いただけますか」玄関で彼らはそう言う。それがサインだ。
幸せになりたきゃ断っちゃいけない。防犯なんて概念ひとまず置いとけ。
都会における、座敷童子の事例報告。
(ストーリー)
雨の街頭。傘を差した人々が行き交う。
その中で傘を差さずに立ち尽くす竹男がいる。道行く人々は誰も竹男を気にしていない。
記憶をなくし、街を浮遊していた竹男は伽那蔵たちの一行(日暮と太鼓打)に拾われる。
彼らは座敷童子と呼ばれるモノだが、当人たちはその呼称を気に入っている様子ではない。
彼らは、自分たちのことを家守(ヤモリ)と呼んだ。
家守は自分の家を持たず、誰かの家に住むことしか出来ない。
普段は公園や図書館、電車の中など公共の施設や街のどこかに紛れている。
伽那蔵は竹男に、人間の生活に寄り添う家守たちのことを教えて聞かせる。
竹男の記憶は次第に蘇り、輪郭を取り戻していく。
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